ボランティア活動


「こんにちは。
行政書士 葛飾江戸川総合法務事務所のアテンドキャラクタ―の細谷叶恵です。
こちらのページでは東日本大震災のボランティア活動の記録を紹介しております。

所長が1回目に行った岩手県釜石市のボランティア活動では、世界で最も強固と言われる堤防が根っこから折れているのを確認したそうです。
この堤防は三陸地方沿岸で相次ぐ津波災害に対処するために、1978年から建設に着手し、2008年に完成した堤防で、建設費用は約1,200億円かかったスーパー堤防みたいですね。
ギネスブックにも掲載されていたとか…。

所長は現地の被災者の方から、
「この巨大堤防があるから逃げなくも大丈夫」
と思って高台に逃げ遅れた市民がいた、とお話を伺ったそうです。
自然災害の怖さが本当に伝わるお話だと思いました。」


2011年5月 岩手県釜石市


2011年3月11日14時46分…、ものすごい揺れましたね。
あの日の夜のテレビは、東北の悲惨な光景が映っていましたね…。
あなたは大丈夫でしたか…?

ボランティア受け入れ第2陣に当選

東日本大震災が起きた2か月後、初めて民間のボランティアが被災地に入ることを許され、わたくしは応募いたしました。
何かできることはないか、と多くの方が思っていたあの頃…、かなりの倍率でしたが、応募したボランティア活動に偶然当選しました。
わたくしは被災地に入る前に2週間前からジョギングや筋トレ等のトレーニングをし、事前に体作りをしてから被災地に入りました。
映像はその時に撮ったものでした。

テレビで報道されていなかった現地の方々の生の声

当時の現地の方々は、
「テレビは一部しか報道されていないから、これを持ち帰って多くの方に見せて、東北が今どうなっているか知らせてほしい。テレビで放送されている場所だけ支援物資が届いている。本当は色んなところで物資が届いていないんです。」
と仰っていました。

全てが破壊されていた釜石市

被災地に降り立って、皆…、言葉を失いました。
わたくしも警察官として様々な現場を見てきましたが、
「ここ、日本なのか…?」
と、疑わずにはいられない光景でした。
本当に何もない、というか、360°全視界の景色全てが破壊されていました。

ボランティア活動開始数時間で怪我人が出る

ボランティア活動初日…、数時間で参加者に怪我人が出ました。
年輩の女性の方でしたが、男性2人でも持ち上げることが難しいコンクリートの塊を一人で運ぼうと無理をして、手の甲を挟んで骨がぐしゃぐしゃになってしまい、手術の為、帰らざるを得なくなってしまいました…。
きっと…、被災地の惨状を目の当たりにして、その雰囲気に飲まれて知らずのうちに無理をされたのだと思います…。
でも…、それは皆同じでした。
ボランティア活動は午後4時まででしたが、誰一人作業を止めようとしません…。
結局午後5時、日が暮れ始め…、現地の方々に注意を受けるまで皆黙々と続けていました…。


被災地と東京の景色から感じる違和感と現実感

このような日々を4泊5日繰り返し、東京にわたくしは帰りました。
バスで東京に着くと…、どこも電気が点いていて明るいんです。
「普段と同じ日常の風景」がそこにはありました。
本当に同じ日本で起きた災害なのか…、と改めて感じた数日間でした。
あのとき感じた奇妙な現実感は…今でもはっきりと覚えています。




2011年12月 宮城県女川町(日中合同)


2度目の東日本大震災ボランティア活動は日中合同のボランティア活動でした。
炊き出しのボランティア活動で、被災地で暖かい汁物やごはんを作り、現地の方々を呼んで、ご飯を提供するという活動でした。
皆で「女川加油」のオレンジ色の帽子を被って活動をしていました。



中国人の方がボランティア団体を結成した理由

中国人の方が半分、日本人が半分、で結成されたボランティア団体でした。
中国人主催のこのボランティアでしたが、どうして中国人主催なのか…、東日本大震災が起きた時、被災地と中国で何が起きたのか…、お話させて頂きたいと思います。
そこには、被災地のある方の…、わたくしには到底真似できない勇気ある決断と行動がこのボランティアの背景にあったと思います。

被災2日後に日本に入り、最初に被災地で救助活動を行った中国

突然ですが…、2011年3月11日、東日本大震災が起きた時、あなたは最初に被災地に入って救援活動を行った国際救助隊はどこの国だと思いますか?
実は…中国なんです。
13日に日本に入り、津波の被害が最も大きかった岩手県大船渡市で救援活動を行い、そして、最も長く救援活動を行っていたのも…中国でした。

中国が行った物資面での援助

物資面では、中国政府はすぐにガソリン1万tとディーゼル油1万tを無償で提供してくれました。
三一重工という中国の企業は東京電力が福島第一原発の冷却作業の為、その三一重工の大型ポンプ車を購入したい、というと、三一重工は他国に輸出する、契約の違反になることもいとわず、売値1万ドルの62メートルのアームを持つポンプ車を無償で提供してくれました。

2008年の中国四川の大地震

当時の中国の駐日大使が、2008年の中国の四川で大地震が起きた後、日本の各界が援助の手を差し伸べ、日本の救援隊と医療チームは被災地で救出、治療活動を行ったことが、中国政府、中国企業を動かしたのではないか、と言っています。

自らの命と引き換えに中国人を救った佐藤充さん

そして…、ここから2回目のボランティア活動に大きく影響している場面です。
あなたは佐藤充さん…、という方を覚えていますか…?
佐藤水産株式会社の専務で、20人の中国人留学生を先に高台に避難させ、そのあとにご自身の奥様とお子様を探しに戻って中国人留学生たちの目の前で津波に飲まれてしまった方です。
きっと…、中国人留学生の方々は、体験したこともない大地震で、どこに避難していいかも、どうすればいいかも、そしてこれから大津波が来るということもわからなかったと思います…。
そのような中国人留学生たちをまず先に助け、それからまた自らの命の危険が伴うことを承知で、高台から下り、奥様とお子様を探しに会社に戻る…、その時の佐藤さんはどんなお気持ちだったか…。

佐藤充さんの行動を中国は日本以上に報道

日本でこの佐藤充さんのニュースが報道されていましたが(わたくしも見ました)、中国では…、もっと報道されていました。
助けられた中国人留学生たちが中国に一時帰国したときに情報発信し、その後…「英雄のいる日本を救え」と国営の新聞、テレビ、SNSで流されたそうです。

佐藤水産株式会社へ実際に訪問

この2回目の日中合同のボランティア活動で、皆で佐藤水産株式会社に実際行きました。
ボランティアに参加していた中国人の方の多くが佐藤水産の社長に
「谢谢你了」
と、泣いてお礼を言っていました。
ボランティアに参加していた中国人は、中国人留学生の家族でも友人でもないんです。
でも、泣いていました…。
それを少し離れたところでそのやりとりを見ていたわたくしですが、隣にいた日本人ボランティアの方が
「これ、同じようなことが中国で起きた時、日本人はここまで熱く中国に対してボランティア活動すると思うか」
と訊かれ、わたくしは、
「…わからないですね」
えたのを覚えています。
きっと…、佐藤充さんのあの行動がこのボランティア活動を起こすきっかけになったのだと、このときわたくしは思いました…。




2012年3月 宮城県石巻市


3回目の東日本大震災ボランティア活動は宮城県石巻市で日帰りのボランティア活動でした。
時期が3月下旬であったため、春休みでお子様を連れてファミリーでご参加されている方も多数いらっしゃいました。

機械や工事車両で取り除けない、手作業による雑物除去作業

以下の写真は住宅跡地であり、ここにはガラスや金属片などの雑物がたくさん残っています…。
今後、新たに住宅を建てたり、何かに利用する際に、次の方がここに残されている鋭利な雑物で怪我をされないよう、その雑物を取り除くボランティア活動でした。
これらの鋭利な雑物は機械や工事車両では取り除くことができないので、手作業でしか取り除く方法がないそうです…。
全ての土地の雑物を取り除くとしたら……、それはとても果てしない話ですね…。
皆、軍手等をし、スコップで土を掘り起こし、雑物を探したりしました。


下の2枚目の写真はこの日、皆で手作業で集めた雑物でございます。
一か所しか撮影しておりませんが、この雑物の山が他にもたくさんできました。
この手作業で集めた雑物を工事車両などが運搬して処理し、今後の方が安心してこの土地を利用できるようにしているそうです。

海外からの参加者

この3回目のボランティア活動の時には、東日本大震災が起きてから1年が経過しています。
多くの白人の参加者も見受けられ、
「1年経っても…、日本人でなくても、まだボランティア活動に参加してくれるのか」
と嬉しく思ったことが強く印象に残っています。